■活動のきっかけ

必要なものを、必要な分、必要な方へ

活動をスタートさせた三浦保志氏

避難所には、指定避難所とそうでない避難所があります。震災直後、指定避難所には行政等を通し、全国、世界中から支援物資が届きました。南三陸町も同様でしたが、取りまとめなければならない役場が流出してしまいうまく機能していなかった事もあり、それらが平等に配布されておりませんでした。

2次避難所、3次避難所、孤立してしまった集落などには賞味期限の切れた食品しか届かない事や、指定避難所でも、避難されている方の人数分の物資が無いとひとつも配布されることなく積み重なったままになっていることもありました。

南三陸町で三代続く鮮魚店「さかなのみうら」社長三浦保志氏は、そんな状況を目の当たりにし、「誰かがやらなくちゃ」「このまま故郷をゴーストタウンにさせてたまるか!」と、自らも被災し、店舗も自宅も失いながらも、震災直後から炊き出しを行い、また、配布されずに積み重なっていた支援物資を必要な方に配布するなどして、支援活動をスタートしました。

■震災直後の活動

●インターネットやメディアを通し三浦氏の活動を知り、お手伝いに集まった私たちは、寄せられる物資を、指定避難所以外にも町民が避難されている場所に配布しました。不足のある分は、当プロジェクトがきっかけでできたボランティア団体ふんばろう東日本支援プロジェクト様HPや復興市場様HPを通し呼びかけをしました。全国から届く支援物資を軽トラックに積み、町内はもちろん、片道1時間半もかかる町外避難所に集団避難している場所も含め、1日に4~5カ所ほどの避難所に届けました。避難所では必ず中まで入り、避難している方と話し、何が必要かをお伺いします。支援物資を届けながら、必要な物の聞き込みをする事で、"今"必要な物を届けてきました。

●仮設風呂の建設。沢から水を汲み運ぶ。浴用品など備品の配備等の運営、管理。

●避難所に炊き出しに来ているボランティア団体のお手伝い。

●倒壊した家屋の片づけや、津波によって流れ着いた瓦礫の撤去。

●5月の電気復旧までは、電気工事関係に従事するボランティアによる電源車での発電。

●行政に集まった物資配布に協力。

●仮設住宅入居抽選が始まり、避難所から引っ越しをされる方のお手伝い。

●漁業支援に関して、再開する上で心配されていた放射能の影響を調査するため、震災後4月から3か月に一度ダイバーの資格を持つお手伝いにより海水、検体を採取し、日本分析センターに調査を依頼。放射能は検出限界値以下という結果を証明し、漁業再開を迷われる漁師さんらの後押しをしました。


■震災から3か月

●配布方法の変更。生活用品である支援物資は少しずつまわり始め、ライフラインが段階的に復旧してくると、被災された方々もほんの少し落ち着きと余裕が見られるようになりました。個数を制限するなどし、寄せられた支援物資を、より多くの方に平等に配布することを心掛けました。

●漁具を失った漁師さんへと全国から中古船を探し、これまでに要望のあった町内の漁師さんに13隻お渡ししました。漁具は、生活用品同様、ふんばろう東日本支援プロジェクト様に、漁具を購入するための資金の呼びかけを依頼。集まった募金から、サンドバッグ、万丈篭、ロープ、めかぶカッター、鎌などの漁具を購入していただき配布した他、様々な団体から現物でのご協力があり、2011年~2012年にかけ、めかぶカッターやミニサンドバッグを町内31か所の浜で 必要な数量を配布いたしました。

■震災から半年

2011年9月29日 

鮮魚店「さかなのみうら」再開店。  

町で一番に魚屋を再開すると話していた三浦氏ですが、支援活動に明け暮れ、自店再開にむけての準備は後回しになっておりました。物資配布中に建物を貸してくださるという方と出会い、瓦礫の撤去から始めた開店準備。震災から半年、三浦氏は本業に復帰しました。

被災地で商店が新たにひとつオープンするという事はコミュニケーションの取れる場所がオープンするのと同等の意味があります。買い物先でお互いの安否を確認することが出来たり、今、どこの仮設住宅へ居るのか情報交換がされたりするのです。さかなのみうらオープンの日も、買い物はもちろん、 笑顔と涙あふれる一日となりました。それからは、三浦氏の活動の根底にある、「必要なものを、必要な分、必要な方へ」という想いに共感を得た全国から来て下さるボランティアの方々、被災した地元の方々と共に活動を継続することとしました。 

ー出張販売のお手伝いー

全国から集まるお手伝いの皆様や、ボランティア団体、自治体、企業様のご紹介により、春に浅草で行われる「桜橋花まつり」をはじめとする復興イベントや物産展に、南三陸のPRも兼ね、新鮮な海の幸を出張販売させていただいております。被災地以外で活動する以外にも形を変えて応援をしております。

■震災から7か月~震災から3年

●8月末に町内外合わせて52か所の仮設住宅が完成し、避難所はすべて閉鎖。仮設住宅への入居が完了しました。夏が終わり、日没時間が早くなったのと、就労する方が増えたという理由から、これまでのようなフリーマーケット形式での配布活動が困難になりました。その後から現在も、一世帯ごとにパッキングし、一軒一軒へ直接のお届けをしております。仮設住宅では「仮設住宅内でのより良いコミュニケーション作り」ということが重要視されております。“おはよう、こんにちは”からはじまり、仮設住宅内での新しいコミュニティー作りをお手伝いする、入居されている皆様が互いに情報や知恵を共有し、力を合わせて復興してゆく事が望ましいと考え、物資を有効的に活用するため、時には各仮設住宅の自治会長様のご協力を頂戴しながら、集会所や催されるイベント等を通し、コミュニケーション作りの場で物資をお配りさせていただきました。

●南三陸町内で支援活動をされる他団体や企業様のコーディネート。

 インターネットやメディアを通じてさかなのみうら物資プロジェクトの活動を知った全国の方から、お手伝いをさせて欲しいと問い合わせが入ります。全国には、何かしたいけど何をしたらいいかわからない、被災地支援のためにお金を集めたけど使い道がわからない、という個人や団体、企業様が非常に多くおられるように感じます。具体的には、

  ・物資を提供したい(全国の個人、他団体、企業様から、生活用品から箱物、車両まで。)

  ・物資配布を手伝いたい(全国の個人、他団体、P&GJapan株式会社様・ジョンソン株式会社様・   オエノンホールディングス株式会社様他物資を提供して下さる企業様、霊友会など他団体様。)

  ・漁師さんのお手伝いをしたい(全国の中学生、高校生、大学生など)

人と人、人と物とのマッチングをし、コーディネートという形で支援者救済も活動の一つになっていると感じています。物資配布の合間、町内の様子や復興の進捗具合をお話し、各々の継続した支援活動に役立てていただけております。

●震災から半年、多くの町民が従事する漁業も、通常でしたら若芽養殖の準備を始める時期にあたります。一人でも多くの漁師さんが再開できるよう、ロープ一本から漁船まで、様々なものを届ける他、現在は、養殖準備から収穫、加工、出荷、販売のお手伝いをしております。配布中に知り合った漁師さんなどから「砂利詰めを手伝ってほしい」「めかぶ削ぎを手伝ってほしいから○○人くらいこられないかな」など要請を受け、お手伝いをします。ボランティアセンターと違い時間に制限がありませんので、漁師さんが希望する時間(早朝等)に、お手伝いに伺うことが出来ています。

●自ら被災しながらも避難所で半年近く炊き出しを続け、当プロジェクトのお手伝いにも加わって下さる内田智貴氏の協力のもと、’11,5~被災地で慰問ライヴを続けるユニット、「モモナシ」の活動の準備から撤収といったお手伝いをしております。私たちが談話室で物資配布をする理由の一つに、近所の方々とコミュニケーションをとってもらいたい、というのがあります。「モモナシ」のお2人も同様に、音楽と共にそういった時間を届ける活動をされておられます。彼らの音楽は、観客が一体となって手遊びをしたり輪唱をしたりと参加型で、曲を知らなくても楽しむ事ができるスタイルが聴きに来る皆様にも大変人気で、被災地での慰問ライヴはこれまで100回を超えました。「モモナシ」が全国に呼びかけ、用意するTシャツに加え、当プロジェクトからは日用品を配布しております。

●草刈りや雪かきなど。

南三陸町では津波に遭った危険区域には住居を建設することが出来ません、また、企業が震災の打撃から復興できずに働き口が減少してしまっているなどの理由もあり、人口流出が止まらず、実際に町で暮らす人々の数は、町調査の人口よりもかなり少ないのではないかと推測されております。商業、漁業、農業、あらゆるところで深刻な人手不足が続いている状況です。要望があった場所で、ご迷惑をおかけしない、私たちのできる範囲でお手伝いさせていただいております。

■震災から3年

前述した理由以外でも、高台移転の完成が待てず町外へ転居する方、また、津波から逃れたにも関わらず、狭小の仮設住宅での生活を強いられることにより、特にご高齢の方は病気を患い、施設へと移られる方。また、残念ながら仮設住宅でお亡くなりになる方・・・。理由は様々ですが、仮設住宅は徐々に世帯数を減らし、現在は全体の約2割は空室と思われます。ある程度の長期間は覚悟していたものの、3年もかかってまだ造成も始まらないのか、と言った声が現実です。生まれ育った町の復興を諦め、町外に出るという決意も相当なものと感じます。また、3年も経つと仮設住宅にも難が出始めます。カビや傾き、その他今年の2月の爆弾低気圧では仮設住宅特有のアクシデントが起きました。広範囲で停電が起き、電気で汲み上げる水道までも止まり、嫌でも震災後の避難所生活を思い出さざるを得ませんでした。仮設住宅は非常に狭いため、あれだけの大災害を経験していても、家族人数分の備えをされている方はそう多くはありません。3年を迎える事もあり、備える事の重要性に意識を向けてもらう意味でも、企業様にご協力いただき、4月~6月には生活用品ではなく、保存食や長期保存水をお届けしました。

■なぜ3年半が経過した今も物資支援を継続するのか

震災から3年半が経ち、少しずつですが、生活用品の要望は減って参りました。しかしそれは生活が潤ったわけでも、暮らしが便利になったわけでもありません。町内にはまだ大型のスーパーが1つもないのです。それぞれがようやく、ほんの少しだけ強く、歩み始めたという変化だと感じています。今後、希望通り高台移転が出来たとしても、以前の生活を取り戻すためには莫大な費用が掛かってきます。町としての物資支援は避難所が閉鎖した震災後の8月に終了しておりますが、「ライフラインが整ったから」「仮設住宅に移り住んだから」「若干の商店が再開したから」物資支援は終了ではないと考えます。米、味噌、醤油や洗剤などどこのご家庭でも使っていただける消耗品をお渡しする事で、少しでも心の余裕ができ、未だ全国の皆様が忘れることなくご支援くださっているのだな、という励みに繋がっていることは間違いないと感じます。

■南三陸町の現状

●仮設コミュニティーの不安

今現在、生きるか死ぬかの窮地に立たされている者は一人もおりませんが、大津波ですべてを流失してしまい、仮のものに囲まれた避難生活を余儀なくされた方たちは、日々節約して生活せざるを得ない状況です。今年の8月1日、町内で初めて完成した災害公営住宅51戸への引っ越しが行われました。マイナスからスタートした避難生活が、ようやくゼロになったのではないかなと感じます。

現時点で町内に建設予定の災害公営住宅930戸すべての完成は再来年の春と言われておりますが、東京オリンピック・パラリンピック開催による資材高騰、建設にかかわる職人不足などが容易に予想でき、本当に再来年の春に引っ越しが出来るのだろうか、という不安。また、震災でバラバラになった自治体がようやく作り直されたのにも関わらず、高台移転によりまたそうなってしまうという心配。先日、ある仮設住宅の方より、「せっかく仲良くなったのだからずっと一緒に居たいの、だから仮設出たくないの」という話を聞きました。避難生活を送る皆様は、痛みも目立つ仮設住宅で様々な悩みを抱えながら生活をしております。

●漁師の不安

防災のための高台移転や、震災前の三倍近い高さの防潮堤の建設の為、山を崩し、木を切り倒し、海には大量のコンクリートが現在流されております。安全のため必要な事だとは分かっておりますが、海洋への影響はないのだろうかと心配して止みません。また、高い防潮堤建設により、雄大な三陸の海の景観が損なわれるだけでなく、ふのりやまつもといった海草の収穫の時には、8.7メートルの階段を登り、刈り取りし、帰りには重い荷物を背負い降りなければならないのか。それらの産業を支える高齢の方々にそれが出来るのか。津波の際には自動で閉じる扉がつくのだろうか。その扉は、巨大地震の揺れや停電で操作不能にならないのだろうか。最終的に人が閉めに行かねばならず、被害が出てしまうのではないのだろうか等々・・・。防潮堤ひとつ取っても、不安は数えきれないほどあります。

●商業施設の不安

震災がもたらしたのは悪い事ばかりではありません。南三陸町の海産物の美味しさは全国的に非常に有名になりました。多くのバスツアーが被災地を巡り、仮設商店街を訪れ、観光客は新鮮な魚介類に舌鼓を打っております。仮設商店街や民宿、鮮魚店などにはリピーターも多くおられます。しかし、復興に向かっていく一方で大震災は徐々に過去のものになり、観光客は減少の一途をたどっております。現在の仮設商店街は、2016年11月末が存続期限で、その後は、現在造成している新しい市街地に商店街を本設する計画が進んでいます。町では、志津川地区歌津地区あわせて60店舗の募集を行っておりますが、初期投資にかかる費用や家賃、継続した集客を見込めるのか、などといった心配があり、出店の希望件数は伸び悩んでいます。

■今後の活動

私たちは常に、町民と会話し、要望を聞いて活動することを心がけており、規律の決まった行政にはできない柔軟な活動をすることができています。今後も、仮の暮らしを終えるまでは、活動当初から心がけている「必要な支援を、必要な分だけ、必要な方に!」を変えることなく念頭に置き、全国から集まるボランティアの皆様と共に、物資支援や漁業支援、また地元の方々からの要望があればできる範囲でお応えし、現地の皆様の復興をお手伝いしてまいります。

■ごあいさつ

たった一人で始まった物資支援、その輪はあっという間に広がり、時には風化と共に狭まり、現在はまた大変多くの方々にお手伝いいただいております。

これまでのべ何千人がさかなのみうら物資プロジェクトをお手伝いくださったことでしょう。一度きりの方、ひと月になんども来る方多種多様ですがそれでいいんです。自信の生活スタイル合った被災地支援を見つけ、想いを寄せてくださったら嬉しいです。震災直後の混乱した時期は過ぎました、被災地に行ってもいいのかなと迷う必要はもうありません。見に来てほしいと思います。テレビなどの報道では到底分かり得ない現実があります。

幸いにも今回は、多くの映像や画像という記録が残りましたが、自らの足で被災地を歩き、写真を撮って頂きたいと思います。次は自分自身の身に起こる事かもしれませんし、大切な人が被災するかもしれません。同じような被害を出さないためにも、見て聞いて感じた事を語り継ぐことで、いつ、どこで起こるかわからない自然災害に備えて欲しいと思います。  

 

南三陸町には自慢の海の幸と雄大な自然が豊富にあります。是非一度いらしてください。

 

■事務局

〒986-0725

宮城県本吉郡南三陸町志津川沼田150-40

さかなのみうら物資プロジェクト

メール  sakananomiurabp@gmail.com